2015年12月04日

また少し進んだ


 受賞作をちまちまと改稿すること6稿目。ついに、担当部署の部長に回されました!
 OKが出れば、校閲部に回されるそうな。装画士さんも、担当さんが候補を厳選して
 くださっているとのこと。装幀についての打ち合わせも進めます、とご連絡いただいて、
 ソワソワわくわくです((*'▽'*))
 本の装丁や絵描きさんは、最終的に固まったら「こんなんですけどどうですか?」
という感じに確認させてもらえるそうです。…が、実質は決まってるってことだよね・笑
 同人屋としては、本の装丁や絵はひっじょーーーーーーに気になるので、デザインの打ち合わせに立ち会えないのはかなり残念。

 楽しみ半分、怖さ半分で、そわそわ待っているところです。
 この作品がもし受賞できなくて自費出版で出すことになっていたら、友人H女史に挿絵をお願いしたいよーって打診してあったのです。
 彼女の絵でも、見たかったなあ。
 
posted by 麦穂 at 18:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 文筆業

2015年10月30日

ただいま改稿中……(そして脱線して長い記事)

新しいカテゴリ「文筆業」をつくって整理しました。
うん、追い詰められていいかんじだ(笑)

 現在、佳作入賞の原稿を改稿すること2回目です。
 1回目の修正は、時代背景や季節感、環境などもっと詳細に書く、というところを重点的に行いました。
 で、そこを直すと今度は「微妙なつじつま合わせ」で細かいツッコミをもらいました。
 後半に出てくる出来事Aに対して、前半でそのことをにおわせておくとか、事前にこういうセリフを言わせておけば次の行動がもっと自然になる、とかそういうところ。
 童話や神話、古い児童文学なんかを読み慣れているせいで、わりと「感覚で流す」描き方をしてたんですね。昔の作品は童話に限らず、けっこうアバウトで通ってますから(笑)
 そのせいで「走れメロス」が「距離と往復にかかった日数を計算してみると、実はあまり全力で走っていなかった。むしろ「走れよメロス」でした」と夏休み研究されるほどに。
「よく考えれば理不尽だけど、まあ、流す」「詳細は描かれていなけれど、語感でまあわかるだろう」という箇所もことごとく訂正指導。ほかにも自分の中では当然と思っていた流れが実は当然でなかった、というのもあります。

 んで、ふと思ったこと……
 大それたことですが、敬愛する椋鳩十先生の短編を例に出してみます。
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「ひなよごめんね」(ポプラ社 椋鳩十全集2巻「片耳の大シカ」収録)
 あらすじ:3人の子供が、アシ原でヨシキリの巣をとってきました。ヒナがかわいらしくて、自分たちで育てようと思ったからでした。
 とってきた巣を母親に見せたところ、
「あなたたちはまちがっている。鳥は野に生きるもの。そのヒナの両親のもとへかえすべき」
と言われます。
 けれどアシ原は広くて、巣のあった場所はどこだかわからなくなっていました。
 そこで3人は石垣の隙間に巣をおいて、協力してヒナに餌を運んで育て、大きくなったら自然に返すことにします。
 ところが、3目の朝、ヒナはアリにたかられた無残な姿で冷たくなっていました。
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 子供たちの「かわいいから傍に置きたい」という、軽くてまちがった愛情が、ヨシキリのヒナに残酷な最期を与えてしまったのですね。
[動物と人間、ひいては人間を含む生き物どうしの関係とは、相手を慮り、慎重に考えてやらなければいけない。たとえ愛情であろうと、身勝手な考えは不幸を生む]
という教訓です。

 が。これが今新たに書かれた物語だったら、はたして元の原稿のとおり通るのか!? と思ったのです。
 私が考える問題点は二つです。
@ 母親〈含め家族の大人〉が無干渉すぎる
A 最後が残酷すぎる
 です。
 Aは、想像してみてくださいよ。小学生中学年くらいの子供が3人、間違ったことをしてしまったことを自認したうえで、決意して一生懸命育てようと決めて、セミやらトンボやらせっせと運んでたんですよ。それが、朝巣をのぞいたらアカアリにたかられたヒナが死んでるんですよ? 絵的にも、ショック大きすぎるでしょ!?
 これが現実、自然の厳しさ、とも言えますが……
 これが現在書かれた物語なら、
「ある朝巣をのぞいたら、ヒナが消えていました。夜のうちに、このあたりをナワバリにしているノラ猫に、さらわれてしまったのでしょうか」
 とか、もしくは何かくわえた猫とかカラスの姿を子供が見てしまったとか、それくらいの表現におさえるべき、と指導されるかもしれませんね。
 それで、さらにツッコミたいのが@です。親が干渉しなさすぎている。
 巣を持ち帰った子供たちに、「それは間違った愛情であって、ヒナにも親ヨシキリにも不幸なこと。返してきなさい」というセリフを言うのはいいです。野生動物との距離感をわりときちんと認識している良い大人です。
 が。
 本当にこのセリフだけで終了です。
 返してきなさい、だけを言われた子供たちは、返し場所が見つからずに途方に暮れ、石垣の隙間に巣を置くことになるのです。
 昔の大人は忙しかったからね、と言いたいところですが、せめて
「返してきなさい。返す場所、わかる?」
 とか、そういう投げかけが無いの、おかしいなあ、って思っちゃいました。
 返す場所がわからなくなった子供たちが親に相談しなかったのも疑問だし、気まずくて相談できなかったのなら、自宅の石垣の隙間に巣を置くのも不自然。
 親も、相談されなかったとしても自宅の石垣をのぞいては虫をとって運んでいる子供たちの様子に気づかないとしたらそれも不自然。
 超短編なだけに、いろいろ詳しい描写は冗長で不必要なものになってしまうのかもしれません。それに、昔は今ほど親が子供に干渉しなかった、というのもあるかもしれません。祖父の話だとほんと、子供時代はスーパー野放し。
 この物語の肝は「間違った愛情のもたらす残酷な結果」ですから、ここで親が干渉しすぎてしまうと違う結果の物語となってしまいます。けれど、それならいっそ母親に見せて「返してきなさい」って言われる描写が無くていいんじゃない!? って思ってしまったのです。
 もう少し、きちんと大人が見守っている作品、というのが昨今の児童文学の特徴かなとも思っています。そうすると、この「ひなよごめんね」は、[大人の協力や助言もあって、なんとか自然に返すことができましたとさ]というお話に変わっているのかもしれませんね。
 それとも、何も知らなかった大人が、事の顛末を子供たちからきいて、なぐさめたりさとしたりする、って方向だったかも。
 と、ここまでいろいろ書いてみて思ったのですが、これらの代替え案だと、元の作品ほどのインパクトや衝撃は無くなっていて、「可愛い!」だけの刹那的愛情で行動した結果がどうなるのか、をガツンと考えなくなっちゃうのかも。
 うーん、むずかしい。そして椋文学すごい。
 でも、お母さんのセリフも無責任に思えてならない(笑)
 あ、そこまで含めて、大人の態度にも一石を投じようとしていたのかしら!?
posted by 麦穂 at 18:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 文筆業

2015年09月22日

遅ればせながらご報告。

またお久しぶりですこんにちわ。
前回の記事でなにやらうだうだ言いましたが、状況が変わったというか固まったのでご報告。

第56回 講談社児童文学新人賞に、佳作入選いたしました。
わーいぱちぱちぱち。
http://ehon.kodansha.co.jp/literature_award/2/2015/b.html

佳作ですから、作品の出版は約束されたものではありません。それでも、
出版することを前提にした改稿作業をすすめているところです。
編集部の方々もとてもいい人たちでした。担当になってくださった編集さんも、
とても頼りがいのある、頼もしい方です。
新人作家を「賞の箔をつけて本を売り、あとは知らない」という使い捨てでなく、
育てていくというスタンスの賞であるらしく、
出身の作家さんは高確率で二作目、三作目の刊行をしていらっしゃいます。
実は、受賞作は1年前に、違う文学賞に出品して、歯牙にもかけられなかったものです。
おそらく、古すぎる、オーソドックスすぎるスタイルの物語だったからでは?
と今なら言えるわけですが(ぶっちゃけ、売れなさそうな話という…)、
今ではそこで落とされたことを感謝しているくらいです。
そして、今回その「古すぎる、オーソドックスすぎる」という点を加味してなお、
佳作に選んでくださった講談社、審査員の先生方、そして、私の執筆活動を支えてくれた周りの人々に
感謝してもしきれない思いでいっぱいです。

同賞で見事新人賞を受賞された高橋雪子さんをまねて、出版までの記録を
ブログでつけてみようかとも考えましたが、たぶんムリポで(笑)
ただ、何か節目節目で報告記事は上げていこうと思っています。
サイトはそのままにしてありますが、たぶん更新止まりますー

改稿にあたり、正確さを期す方向に指導されました。
急きょ木曽馬の里まで車飛ばしましたー。 
木曽馬保存会のN氏、お忙しい中、取材にご協力くださりありがとうございました。







posted by 麦穂 at 17:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 文筆業